人生60年とした場合と100年とした場合は、考え方もやることもスピードや中身も変わってきます。私は高校生のころ40歳で十分なのではと考えていましたが、今は80歳ぐらい生きたい(生きねば)と考えてます。
一定時間出来たとしても
昨日、ランニングをして感じたのですが、筋肉痛もあったので、LSDを90分やろうと思ったのですが、途中で、あ、なんかこれはもう続かないなと感じたので、折り返して60分で終了しました。体力としては何も問題がないとは思ったのですが、感覚的に集中力が続かないと感じました。
まあ、結局歩かずに走れたので、この判断でよかったんじゃないかなと思うんですが、今日になって思うのは、ランニングも集中力が必要なんじゃないかなっていうところです。一定のペースで走り続けるということは、意外と器用な事というか、簡単でないことをしているということを、実際に走っていると感じます。
マラソンで言えば、人によりますが、2時間から6時間ぐらい走ったり歩いたりしてるわけなのですが、この集中力を持続させるのが結構厳しいなと思いました。もちろん、そもそも体力として走れるのか?ということだったり、練習してるのかとか、要素としてはあるのですが、集中力も一つの要素なのかな?と感じたわけです。そう考えると、ランニングの練習というのは、集中力を持続させる一つの訓練と考えられるかなと感じます。
※LSDはかなりゆったりしたランニングで早歩きに毛が生えたぐらいのペースです。
競技によって変わる
集中力という要素で考えると、マラソンは、目標タイムの集中力を持続できるか?という考えに基づいて考えていくといいかもしれません。これは競技によって違ってくるはずですが、例えば公認会計士試験では論文式試験で、一日に2時間の試験を午前と午後にやったり、科目によっては3時間の科目もあります。知識があるのはもちろんのこと、それを文章にする能力だったりも必要です。
そのベースとなる集中力というのは、机に座って考えたり、文字を書いたりする能力というのが、まあ実は勉強ということを繰り返すことによって備わっていったのではないかなと感じます。マラソンはレース当日お祭りのようなものですから、結構高揚して、集中力というか、勢いみたいなものはありますが、それでも訓練してなかったときは、あっという間に走るの面倒だなというふうに感じてしまうでしょうから、すぐ歩いてしまうでしょう。
知っていても、やってみて出来てなければ知らないことと同じだったり、そもそもやるにしても持ち時間の半分しか集中力が続かないのであれば、全体通しての結果は良くないことが多いです(集中力が切れる前に終わるという手がありますが上級者向です)
LSDという練習は、ペースとしては本当に誰でもできるものですが、集中力だったり、あと体重の減少だったりとか、コンディションを整えることに関して、非常に有用だなと感じました。実際に私は90分やろうとして60分しかできなかったわけですから、やっぱりまだ伸びしろがあるなということになります。
{編集後記}
昨日の
- トレーニング:LSD60分
- 夕飯:チャーハン
- 昼飯:レタス豚
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