見慣れないもの
最近インド映画を見ました。皆さんのインド映画のイメージは歌って踊ってのミュージカルのようなものでしょうか。私もそうだったのですが、今回鑑賞したのはインドで生活する等身大の人物を表現したものでした。
時間の流れも長く、状況もあまり変わらず、外の撮影は画面が小刻みに揺れて見づらい。まあ、面白いと思えるものを探す努力をするはめになったのですが、ふとなぜこんなにストレスを感じている自分がいるのかが気になりました。
制作者側は無駄な映像を流す理由は有りません。映像作品として必要としているものを提供しています。
それを鑑賞者側がどのように感じるか、です。もしかしたら私は気が短くなっているのではないかと。
作品の中でよく電車が入ってきます。音のとき、乗っているとき、電車だけ映すとき、ホームで乗り降りしているときなど様々です。
もしかしたらインドの都会の中で周りの速度がどんどん上がっていることをメタファーとして、電車に込めているのかもしれません。
それとは対照的に人物のやり取りや悩みがゆっっくり進んでいるのは社会と人の速度の乖離が大きくなっていることを伝えたいのかも。。
で、便利な日本に慣れきっている私は社会のスピードに適応したつもりになって、気が短くなっている。。
ところで、そんな私は人の部分で満たされた生活ができていますかね?という問いを投げてくれているのか。。
自分自身と100%向き合えてます、という純度が高い人はなかなかいないとは思います。
避けているものが最も効果高い
この前、連休中に公演でイベントがあって、子供に遊びにつれていくのにちょうど良いなと言うことで外出しました。そこでは歌手やダンサーの方がステージで歌や踊りを披露してくれるので楽しげです。
観客は家族ほど関心が高く、関係のない親ほどに関心が下がってきます。こどもは虫とか遊具で楽しそうですけどね。
自分はといえば、音楽や踊りを遠くで見せてもらいながら休憩してます。それでブログを書きながらふと自分は楽しんでいるのかなと感じたわけです。
休日は形としては家族で過ごす日なのですが、子供の日ということに結果的になりつつあって、自分(と妻)が何とか楽しもうとしている、ということになりがちです。
仕事と休日にメリハリがあっていいですが、休日にメリハリがある必要もないのかなと。
なんとなくですが、皆あまりしたことない山登りとかしたら楽しいかもしれませんね。
{編集後記}
昨日の
- トレーニング:ヨガ
- 夕飯:玉ねぎとささみの醤油炒め
- 昼飯:夜の残り
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