子供にさせたいことと一緒にしたいことは何が違うのだろうと書きました。
させたい
子供にさせたいリストというデータの箱を作ってポツポツと貯めていっているところです。
・水泳を習わせたい
・計算は出来るように公文に行かせたい
等など、基本的には子供のスキルが上がるような習い事系統が思い浮かびます。このとき、子供がやりたいかどうかは分かりませんが、親としては、これが出来たら将来役に立つとか、これが出来たら困らないという動機がおおいのではないでしょうか。
一緒にしたい
対して、一緒にしたいリストというものは特に作っておりませんが、
自分のやってみたいこと、の中に、子供と一緒にやってみたいことというものが出てくるときがあります。
それがサムネイルのシミント広島に行くことでした。
定期的にミストが出てくる噴水のようなものが公園の中央あたりにあります。
一度、クライアントとランチしたり、お話したときにそれを見つけて、子どもたちがとても喜んでいたことを覚えていました。
きっと、私の子供もこれは嬉しいに違いないと考えて、保育園が休みの日に連れて行ってみると相当楽しかったようでびしょ濡れ気味になるくらい遊んでいました。
その後、滑り台の方で遊ばせるつもりが、川のようなところがありまして、そこでまたしっかりと水浸しになりました。着替えは持ってきていたのでその後は着替えさせて、帰りました。
というわけで、一緒にしたいには、私が子供達に対してきっと喜んでもらえるという期待はあるものの、それをすることで子供達が何かスキルとして向上することは全く求めてなかったりします。
一方で子供達側は何か受け取るのでしょうか。
・いきたい場所が増えた
・イベントでたまたまやっていた神楽をみて楽しかった
・一緒に遊んだあとの昼ごはんが美味しかった
・G7で警察官やパトカーがいっぱい見れて楽しかった
・STARBUCKSのフラペチーノを飲んで美味しかった
食べるか見るかばっかりですが、強いて言うならば「楽しかった」「美味しかった」という気持ちが育つというところでしょうか。
一番いいのは
子供が楽しいに違いないというもので、それを通して子供が成長してくれるものが一番いいですよね。
なかなか簡単ではないですが、私は子ども自身ではないのでまずは色々と体験してもらってその中で判断してもらいます。
私自身で言えば、最近はトライアスロン出場に向けてトレーニングすることが自分にさせたいことというよりしたいことなので、今から走ってきます。そう思えるのはトレーニング自体が「楽しかった」「気持ちよかった」「一日が充実感があった」という体験や記憶があるからなのでしょう。
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