宿題やりなさいという立場
子供に宿題やりなさいという機会が訪れました。私が言わなくとも母親が言ったりと誰かが担う役割です。
進んで宿題をする子であれば言う必要はないでしょうがそんな子は全体で1割いるのでしょうか。
私はあまり~しなさいという言葉を使いたくないので、「30分後に遊びに行くから、それまでにやることやったら。」という回りくどいことを言っています。どちらかと言えば感情的になりたくない自分のために。
でも結局やらないことが多く、好きなお絵かきや自転車でどっか行くことを優先しがちです。まあ動画漬けになるよりはましかな。。思いつつ何かモヤッとします。
自分の好きなことで飯が食えたら
絵を書いてくれるのは嬉しいです。何だったらお仕事頑張ってね的な絵も書いてくれたりします、今だけだなと感じます。
たぶん喜ばせたいという気持ちと自分がやりたいことをすり合わせた結果、絵を書いて喜ばせたいというものが形になったのだと思います。
それは嬉しい。だけど自分に必要なこともしません? 四則演算は出来ていたほうがなにするにしても。
そりゃーお父さんも運動が好きなので、卓球や運動だけして飯が食えたらとは思うこと多々ありましたが、運動や芸術の世界は万が一の人間が求められる世界なんですよ。詳しくは左ききのエレンでも読んでください。
その世界に比べたら、会計の世界は「毎年」チャンスがある中で、100人中7人ぐらいになったら一応資格もらえる可能性は高いのでまだまあ。
誰かに必要なものにもなりなさい
自分がしたいことで誰かが必ず喜んでくれるとは限らない。もしくはそのしたいことは異様に競争力が高い、ということも良くあります。
求められていない中で自分がしたいことは趣味になりますし、自分と他者のラインのギャップが凄いので辛くなってきますよ。
自分も大人みたいな意見を考えるようになったものだと感じ入りましたが、
誰かがしたくない、面倒くさい、難しいと感じているものを代わりに出来るから仕事になりやすい。
誰もがしたい、はじめやすい、かんたんと感じているものは皆したいから仕事になりにくい。
両方大事だと思うけど、後者だけじゃなく、前者で自分がこれならやっても良いなと思うものも見つけるために。
とりあえず宿題やってみませんか! 長いか。。。
{編集後記}
昨日の
- トレーニング:Jog 6k
- 夕飯:鶏肉ハンバーグ (不評)
- 昼飯:アジフライ丼
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