内容はそこまで重要ではないかもしれない
伝える内容、本来は大事なのです。
それによって将来に対する考えが変わって、行動が変わり、未来が変わって行くはずです。
なのですが、話を聞いているその瞬間、一瞬においては
相談者の悩みが深いほどに、相談者は聞き手の回答を思ったよりも覚えていないかもしれません。
ただ聞いてくれることを期待しているときもあります。
一例で言えば、私がトライアスロンの海を泳ぐ練習会があって、春の冷たい海で全く泳げずに、これは本番は泳がない方が良いかもしれないと考えました。
たまたま、居合わせた練習会の年の近い、とても競技力が近い方が話を聞いてくれたのですが、
正直、真面目な回答は期待しておらず話を聞いてくれるだけで満足な世間話のテイでした。
しかし、その人は「私も経験があります」
から始まりました。
一切のお愛想はなく、自分の記憶をたどりながら、私のときはこうした、こういうアドバイスをもらった
という話をしてくれました。
そして、アドバイスに基づいてやりましたが結果はあまり良くありませんでした。
ただ、私はこのときのこの方の対応を一生忘れないでしょう。
こんなにレベル高い人が初心者レベルの自分のときがあったんだ、それでも乗り越えて今、こんな高いところにいるのだ。という気持ち。
そんな気持ちになることは1年の中で、いや大人になるにつれて感じることはそうそうありません。
私はなんとか、自分なりに春の海で1500Mを泳げるような努力はしていこうと気持ちを新たにすることができました。
ところで、仕事の面で私は同じようにクライアントと一緒に、同じものをみて考えることが出来ているか、ということを考えるいい機会になりました。
私の仕事スタイルだと、特に中小企業、これから開業する方に関して事務的な対応をしていたのでは選んでいただけないです。
そのときそのときで、そのときにできる全てを持って接することが出来ているかを考えるいい機会でした。
今の結果で行動を決めなくていい
もうひとつ、良いアドバイスがありました。
それは、私が先程の海で全く泳げなかったという話について、スイムのリタイアを真面目に考えている、ということについて。
なぜそのように考えるかと言うと、泳ぎ始めてから泳げなくなって(本番は砂浜が近いとかないので)自力で陸にいけなくなったときに、ライフセーバーや運営に迷惑をかけるくらいなら最初からスイムをリタイアした方が良いのではないか、というわけです。
それに対するこの方のアドバイスは
「今の結果で迷惑がかかるからリタイアする、ということは考えなくて良い。やりたいかやりたくないかで考えて良いんですよ」というものでした。
これに私は雷を受けたような衝撃を受けました。
迷惑、かけていいんですか。
まだチャレンジして良いんですか。
傷つきたくない自分を守る必要はないですか。
損得でなく、気持ちで判断して良いんですか。
私も普段のわたしならそう考えるでしょうが、それにしてはあまりにも結果が悪かったし、むしろ練習会で結果が悪くて良かった、これが本番だったら目も当てられない、と考えてました。
つまりこれはもう、出場することだけでも本当に凄いことだと考えて良いんですかね。
確かに最初からリタイアすると、楽ではあるのですが私はもう二度と、かなり自分の中で確信を得ないと、春の大会にエントリーすることはしないでしょう。
そんな自分で良いとも思いますが、トライアスロンというものに気持ちがしぼんでいっているのも確かです。
一体何が正しいのか。。
これを書いている今も判断には迷いますが、まだやれることはあります。
そしてできるものなら最初の目標どおり完走したいのです。
昨日の記事はそういった具体的な自分なりの対策を書いたつもりです。
そして、頂いたアドバイスも人生と仕事に活かして行きます。ありがとうございました。
「それってやりたいことベースで判断できてますか?やらないといけないになってないですか。」
{編集後記}
昨日は娘の小学校の入学式でした。自分もこんなときあったはずですが全く思い出せません。
そして親のやることの多いこと多いこと、自分の親に感謝の気持ちが湧きました。かつ朝の家事時間が登校時間に合わせて1時間早くなりました。
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