ライバルとぶつかるのを避けてきた

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ぶつかって消耗することが嫌だった

後天的な要素もあると考えているのですが、転勤族で学校が複数回変わった人間としては誰かの味方になることよりも的にならないことが自然と選好された気がします。

居心地の良い人間という人もいましたが、妙に突っかかってくる人もいます。

やたらと競い合いたい人です。正直得意では有りませんでした。只でさえ人間関係が変わって疲れている状況でこれ以上疲れたくないという気持ちになっていました。

結果、ひとりのほうが気楽かと10代の頃は考えていました。20代頃辺りから自分との心の折り合いの付け方がまあまあ出来るようになり、それなりに過ごせるようになっていきました。

しかし、やっぱりいわゆるライバルという方と過ごすのは苦手なことに変わりは有りませんでした。

進化論的には合っているかも

競争することの最大の有効策は競争しないことにあります。

棲み分けを行うことで共存出来るというわけです。

上昇志向の高い人間はいわゆる主流であることを望みますが、同じ方向で行くと競い合うことになるので

私は少数派の方向を幼少期から好んでいたようです。

そう考えると私はあらゆる競技スポーツが向いていないかと考えた時期もあります。

勝ち負けがつく以上はぶつかる訳ですが、負けたほうが相手は勝つわけです。

さすがに負けに行くプレーというのは失礼なので、全力を出し尽くした上で負けて相手を称えることは有りにしました。

どれだけ努力しても1位はひとりだけですから。

私がいわゆる学力試験というものが好ましいのは相手を目の前にするのは、紙と文字だからという面はあります。

実質上は周りの受験生と戦っているのですが、体感としてはそうでは有りません。

平均値や合格点を上回るかどうかに変換されて、ただひとりの誰かに勝たなければ行けない訳では無いからです。

ぶつからず、共感した上で気持ちを伝えるのは有りかも

40手前にして、見出しのような心境になったりしました。

最近、子育てをする上でパートナーに共感をしても同情までする必要はないと学びました。

どっちも同じ意味に捉えていましたが

同情は話を聴いて、相手と同じ気持ちになること

共感は話を聴いて、「つらかったね」「そうだよね」とあいづちは打つものの、相手と同じ気持ちにならないこと

言葉だけだと共感は冷たいイメージもありますが、相手の感情に引っ張られすぎるとパフォーマンスが下がったり

やるべきことができなくなったりします。していました。

私が人間関係で疲れていたのは同情しすぎていたのかなと感じています。

これは人によるかもしれません。もともとここで言う同情するタイプ、共感するタイプは生まれ持った性格的な一因かもしれません。

私は同情するタイプのようで、良いときは良いのですが悪いときも結構悪かったりします。

最近、クライアントの話を伺うときにこの考えを応用して対応してみたところ良いことが有りました。

消費税の取り扱いで原則的な方法と簡便的な方法どちらをとるか、という場面です。

クライアントは事務的に簡便な方法をとりたいという概ねの主張です。

私はそれに「共感」するものの、もしかしたら年間数百万円違いが出るかもしれないので

取引先と調整だけお願いできないか、難しい場合は辞めましょうというやり取りをしました。

結果、取引先との調整はことのほかスムーズに対応して頂き、原則的な方法が採用される方向です。

今までの私であれば、クライアントに「同情」し、(同調?)簡便な方法を採用していたかもしれません。

その時点のクライアントの納得感は高いですが、長期的に見て損をさせている場合、

職業人としてはいかがなものだろうと考えた次第です。

意見としては全く反対の主張をしてしまった私ですが、今はクライアント側から積極的に

あの件は、こうしたらいいかああしたらいいかと連絡を頂けるのでうまくやれたのだと考えてます。


 

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