その場しのぎなイエスより誠実なノー

私が変わっているところかもしれません。

「いいえ」と言われたほうがホッとする、安心するということがよくあります。

この話は基本仕事前提です。遊びでは気楽にやってます。

サムネはランチ営業をコメがないということでお休みした居酒屋さん。

その潔さ、応援したいです。

目次

その場しのぎなイエス

ほんまはノーだけど、雰囲気的に合わせとこ、というイエスが一番苦手です。

どっちやねん、って後でなるからです。

一回しか会わない、年に1回会うぐらいのであれば、私も場に合わせたりします。

けど、定期的に会ってきた、これから会う人に対してこれをする、されると判断間違えます。

判断を間違えると相手に損させてしまいます。

「わからない」「できない」「知らない」は恥ではないです。

それをそのままにするのは恥になるかもしれません。

こちらとしても私は占い師ではないので、ほんまに分かる、分からないは分かりません。

ホンマに分かってます?なんてお客さんになるかもしれない人、なった人に対して言いません、失礼ですから。

お客さんに対して、理解度に合わせて、仕事が滞りないように案内するのも私は仕事だと考えてます。

その理解度を読み違えすると合ってない情報提供になってしまい、困ったことになります。

誠実なノー

昔って、思ったことそのとき伝えてました。

それで傷ついたり、傷つけたりしてました。

いつ頃からでしょう。本音と建前を使い分けるようになったのは。

私の場合ですが

中学校⇒カオス

高校⇒まあまあ

大学⇒それなり

大学院⇒諦める

思い出しました。大学院のとき諦めました。結局私はストレートしか投げれない人、そしてストレートと同じ手のフリで握り方だけ変えたフォークしか投げれない人なのだと、つまりイエスかノーしか通用しない。

他の球種も投げたことあったかもしれないけど、なんか弱いです。

諦めたっていうのは、人間関係においての自分というものだと理解されると思います。それもありますが、一番は自分が自分自身に、というところが大きいです。

本当に公認会計士試験を合格しよう、合格した人生にしようとすると、曖昧な時間をなるべく捨てて必要な時間を自分に用意してあげないと勝負の世界で勝った負けたが出来ないと感じました。

自分を納得させられないならいわんや他人をや、です。

それから社会に出て、何度となく自分なりの原則があてはまってきました。

何をやったら良いか分からない、言われたことをフワッとやる⇒弱い

仕事を取りに行く、言われる前に動く⇒いい感じ

最近は自分から「それは分かりません」と言うことが出来るようになってきました。

相手のノーもわかりやすいです。でもイエスはどっちのイエスか分かりにくいですね。。。

{編集後記}

昨日の

  • トレーニング:オフ
  • 夕飯:焼きそば
  • 昼飯:大人、子供 巻きずし 、パン

 

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